えげつなすぎて吐き気がして来た。 仕事の休憩中に読むものではなかった。 http://t.co/BT43RwarRb
— けんにぃ (@kentworkoftime) 2014, 4月 16
京都の母親殺人事件を元に描かれたもの、みたい。
これを見てキツいと取るのかえげつないと取るのか
感じ方は人それぞれかもしれんけど
"事件"ではなくだれにでも起こりうるという"事実"で
たぶん多くの誰もが直面する現場だ。
この方に蓄えがあり金銭的余裕があったなら
あんな悲惨な事件は起きなかったか?
この方に他にも家族がいて、主に家族が介護を引き受けてくれたなら、
介護者に徘徊する体力はなく寝たきりで動けなければ、
全部NOだと思う。
金銭的にどうにかなっても生活は制限され心は廃れていくだろうし
家族が壊れていく場合もあるだろうし
寝たきりになれば寝たきりになった苦難もそこにある。
それでも、その困難を乗り越えられる人もいる。
えげつない、と目を逸らすより
直視しなければいけない現実だと思う。
もうひとつ、
誰にでも起こりえる事実というのは
まさに将来自分がそうなってしまうのではないかということ。
医療の発達のお陰で長生きこそできるようになっただろうけれど
もはや脳みそは死にかけたまま、肉体だけ生き存えている状態になるのでは、と。
わたしは自分のことが解らなくなってしまう前に
HDDと共に自分に見切りをつけたい。
自分が壊れてしまってまで生き存えたいと思わない。
だからと言って他者にもそうあれとは思っているわけじゃない、自分ならという思いだ。
尊厳死が許されないなら医者には頼らず。
もうそろそろそんな生き方を認められてもいいんじゃないか。