オーストラリア・ケアンズ旅行記 【序】

2011/11/25(Fri)

先々週から先週、オーストラリアはケアンズに行ってきまして。
相変わらず格安航空券を買ってのびんぼー旅行。


ん、
びんぼー旅行楽しい!
宿を探して、行きたいとこを調べて。

言葉の通じないとこで迷子になって、助けられて
ひとのあたたかみに触れて。
B級グルメを味わって、酒飲んで。

人と出会って。危ない目にあってみて。


とはいえケアンズ、行ってみたらめっちゃ観光地やった。
だので、ほとんど下調べがないにも関わらず、サバイバル感はなかった★





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旅行記みたいなものを書きたいけれど
今回、どーしても書きたいことがあるので手短に。
オーストラリアで涙したできごとをすこし。


***

オーストラリアってもの凄く親日な国。
しかも、行った先のケアンズは超・観光地だったので日本人観光客が多く、
日本人に接し慣れているオージーが多い。

なので気軽に話ができるんよ。
そんな時、いろんな人に言われた。



「震災の時、大丈夫だったのかい?」



アパートメントにチェックインした時、
ホテルバウチャーに記載されている日本国籍を確認したオーナーが
真っ先に聞いてきたのも、震災で被害を受けた地域だったのかということ。

うん、
びっくりした。
そんなに日本人珍しくないだろうと思ってたから。

そこに泊まってみて分かったんだけど、街の外れで
しかもアパートメントホテルなもんで、日本人宿泊者は全く見掛けなかった。



熱帯雨林で4WDハマーを運転していたダニエルは
311の日にFukushimaの山の中でスノボをやっていたそうで。


「アノトキハ、タイヘンダッタヨー」

「モーター・サイクルガアレバ、オーストラリアニ、トンデカエッタヨー!!」(バイクで海渡るんかい!)
「デモヤマノナカニ、ミッカカンモ、イタンダヨー!」

「ミユキハ、ファミリーハ、ダイジョウブダッタノー?!」



311の日の大変だった思いを分かち合いながら、
ダニエルの手を握り締めながら言った。



震災はほんとうに大変だったけど
オーストラリアをはじめ、世界中の人たちが日本を助けてくれた。

スラム街の子供達まで、私たちのためになけなしのお金を送ってくれたんやで。

本当にありがとう。
ニッポンは世界中の人たちからたくさんの勇気を貰った。
ニッポンジンは、世界中の人たちに助けて貰ったことを絶対に忘れない。




日本語と、英単語とバディランゲージと、
涙を交えながら言った。



あの時、世界中の人たちからのあたたかいメッセージを、
ニュースやネットでたくさん見たけれど

こんな風に実際にそのあたたかさに触れられたことが
この旅で何よりの嬉しい出来事だった。

ああ、世界は素晴らしいよ



***

ダニエルとは半日しか行動を共にしなかったけれど
震災の話をしたせいで、すっかり仲良くなった。

だので、ケアンズの不満を少しぶっちゃけてみた。


ケアンズにはえろがまったくない!
怪しいピンク・ストリートもなければ、えろ本すらあまり売っていない。
一体ぜんたい、どーなっとんねん!!!!




ダニエルは言った。


ニホンノキャバクラ、フーゾク、ケアンズニハナイネ。
ナゼ、オカネハラッテマデ、オンナノコトハナシタリ、エッチスル?
ノーノーソンナノヒツヨウナイ!

オンナノコトエッチシタケレバ、ボクラ、ガールハントスルネ!
ニホンジン、クレイジーデス!



よく分かりました。
で、キャバクラと風俗はいいですよ。
えろ本やえろグッズは(


「キャバクラや風俗はないけど、ストリップを見れる所ならなくもない」(実際はカタカナ表記的なカタコトで)

そう言って深夜の別れ際、
わたしの自作の地図に、ストリップ劇場のある場所に×印をつけてくれた。
バッテンは3ヵ所あった。
どれも歩いているだけでは分かり難いところばかり。



ありがとうダニエル
あなたに、もっと早く出会いたかったよ

わたし、明日のお昼の便で帰るんだ







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